三千浦(サムチョンポ)大橋
慶尚南道・南海(ナムへ)
地方
三千浦(サムチョンポ)大橋は、泗川市(サチョンシ)と南海郡(ナムヘグン)を繋ぐ大橋です。橋梁長さが436mに達する三千浦(サムチョンポ)大橋は、地域の開発と閑麗(ハルリョ)海上国立公園の観光資源を活性化するために建設されました。
南海(ナムへ)と陸地を結ぶ南海大橋
南海(ナムへ)と陸地を結ぶ南海大橋(ナムヘデギョ)は、70~80年代の韓国の大規模土木事業の中の一つでした。660mにも達する長さと60mの高さはその規模から圧倒的でした。以後、80年代に入ってから完工した珍島(チンド)大橋、突山(トルサン)大橋をはじめとして大型橋梁は持続的に増えました。去る2003年には、泗川(サチョン)市と南海(ナムへ)をつなぐ三千浦(サムチョンポ)大橋が加わりました。
70年代の南海(ナムへ)
70年代、河東郡(ハドングン)、露梁(ノリャン)里と南海郡(ナムヘグン)、露梁(ノリャン)里の間の露梁(ノリャン)海峡はわずか1kmにならない短い航路でした。当時、船は午前6時30分から夕方9時まで運行され、南海(ナムへ)に住む2千人余りの住民たちには唯一の交通手段でした。台風がきて船が運行できなければ、何日間も島に閉じ込められました。
南海(ナムへ)の歴史
南海(ナムへ)は朝鮮時代には流配地として知られていました。また、忠武公イ・スンシンが“私の死を敵に知らせるな”として壮烈な最後を迎えたところもこの地で、南海(ナムへ)が持つ歴史的な意味は真に多様です。
2003年開通の三千浦大橋
3個の島を5個の橋梁で繋ぐの東北側には、三千浦(サムチョンポ)大橋があります。3.4kmにかけて五個の橋脚が続き、陸地と島を繋いでいます。まるで、南海大橋(ナムヘデギョ)の役割を受け持つ兄弟橋のようにも見えます。三千浦(サムチョンポ)大橋は、忠武公生誕日を記念して去る2003年開通しました。
南海(ナムへ)12景の一つ
三千浦(サムチョンポ)大橋は、南海(ナムへ)12景にも数えられ、昼間は美しい海と島々の景色を眺めることができ、また夜にはライトアップされた綺麗な夜景を楽しむことが出来ます。島と陸地と繋ぐこの橋は、2003年に開通し島の住民たちの交通手段も便利になりました
それぞれ違う工法で施工された5つの橋梁
島と陸地を結ぶ、三千浦大橋、草養橋、勒島橋、丹項大橋、オンゲ橋の5つの橋梁は、それぞれ違う工法で施工されました。5つの橋梁は形もそれぞれ違い、あたかも橋梁博物館を見るかのようです。
「チョヤン休憩所」
三千浦(サムチョンポ)大橋の近くには、「チョヤン休憩所」が併設されています。この休憩所からは、南海(ナムへ)と島々の景色を眺める事が出来ます。また、休憩所の奥には散歩道が併設されています。
『韓国の美しい道100選』大賞!
三千浦(サムチョンポ)大橋は、韓国道路交通協会主催の『韓国の美しい道100選』で大賞にも選ばれたことがある美しい橋梁です。島の美しい自然景観とともに、南海(ナムへ)地域の名物として韓国の人々や海外からの観光客などにも親しまれています。
釜山・慶南各地へも移動が便利に!
三千浦(サムチョンポ)大橋は、三つの島を陸地と連結する重要な役割を果たしており、既存の南海大橋(ナムヘデギョ)とともに陸地に通じ、南海郡(ナムヘグン)の新しい道となりました。既存の南海大橋(ナムヘデギョ)を利用することに比べ、釜山(プサン)・慶南(キョンナム)各地への移動所用時間が大きく短縮されました。
さまざまな施設を完備
また、南海郡(ナムヘグン)と泗川(サチョン)市の両自治体は、地域広報のためのさまざまな施設を整えました。南海郡(ナムヘグン)側には、チャンソン大橋の入口に、『チャンソン大橋タウン』という水産協同組合活魚販売場、レストラン、刺身用活魚センター、特産物販売場などの施設が完備され、 泗川(サチョン)市には、三千浦(サムチョンポ)大橋入口近隣に、『三千浦(サムチョンポ)大橋記念公園』という公園が作られました。
三千浦(サムチョンポ)大橋
- 住所
- 泗川市大芳洞 681-9(三千浦大橋公園)
- 電話番号
- 運営時間
- 日本語
- 不可