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水原華城と華城行宮

水原華城と華城行宮

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広大な世界遺産・水原華城で歴史を感じる
~「宮廷女官チャングム」のロケ地を散策~

水原華城
ソウルから電車で約1時間の水原にある「水原華城」は、朝鮮を代表する文化遺産で、朝鮮第22代の正祖が父である荘祖の墓を水原に移し、親を想う気持ちと政治的戦略、首都南側防衛のために建てられた。
当時最高の実学【現実生活に役立つ実用的な学問】者たちが集まり、東洋と西洋の軍事施設理論を盛り込んで科学的に設計された韓国初のレンガで造られた近代的な城であり、全長5.7kmという‘万里の長城’のような巨大な城郭とその要所要所に門、砲台、やぐら、兵士の休憩所や軍事指揮所、訓練所などが東西南北に整然と組み込まれている。10年はかかると見られていたこの巨大な計画都市をわずか3年足らずで築き上げた影には、丁若鏞(チョン・ヤギョン)をはじめとする実学者たちの存在が大きな力になったといえる。当時の工事記録も完全な形で現存しており、建築史的にも高い価値を有する城郭として、1997年にはユネスコ世界文化遺産に登録された。

華城は築造されて以降、日帝強制占領期と朝鮮戦争を経て一部が破損・損失したものの、1975年~1979年の間、築城直後に発行されていた「華城城役儀軌」に基づき、ほとんどが築城当時の姿に補修・復元され、現在に至っている。

日本・中国などには見られない平山城の形態である華城は、軍事的防御機能と商業的機能を兼ね合わせていて、施設の機能が最も科学的かつ合理的、また実用的な構造となっている。

水原市民の憩いの場でもある華城は、毎年4月、5月になると色とりどりの花が咲き乱れ、また10月初旬には華城文化祭が開催されるなど、一年中いつ行っても楽しめて何度行っても飽きない観光スポット。


華城行宮

華城行宮は水原華城の中心にある王の別邸。行宮(ヘングン)とは王が地方への行幸の際に宿泊した臨時の宿のこと正祖が父親のお墓参りをして、帰りに立ち寄って休息をとったり、母親の恵慶宮洪氏の宴を行ったところでもある。また、普段は府使(後に留守)が執務する府衙としても活用されていた。

正祖は正祖13年10月に顯隆園を移してから正祖24年1月まで、12年間13回にわたって園幸(王族や王の側室の墓参り)を定期的に行っていたといわれ、この行宮は朝鮮時代に建国された数多くの行宮の中で、その規模や機能面で最高とされるだけに、城郭とともに政治的・軍事的な面で大きな意味があり、数多くの行宮の中でも最も代表的。

日帝強制占領期にはほとんどの建物が壊されてしまったが、その後1975年に水原華城の復元とともに行宮の復元工事も行われ、2003年に一般公開されることとなった。

また、華城行宮はイ・ヨンエ主演の人気ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のロケ地としても有名。

見所ポイント
八達門
宝物第420号に指定されている八達門は、朝鮮時代末期の1794年に建てられた華城の南門である。別名、南門(ナンムン)と呼ばれソウルの南大門(ナンデムン)よりも規模が大きい。また、門の名前は四方八方に道が開かれているという意味が込められている。
石が積まれたアーチ型の門は王の出御の際に馬と神輿が出入りできるように広く、門の上には二層楼閣が建てられている。
門楼の周囲四方には低い壁を回して外側には半月型の甕城(おうじょう)を、左右には敵の攻撃を防ぐため、城門防御において役割を果たす設計となっている。
華紅門(北水門)
華城唯一の水門である華紅門。
当時、梅雨の時期になると氾濫するという難があったため、城を築き始める前に水路を造ることが考えられた。
水原川が城内を貫通するように7つの虹霓門を設置し、その川筋の上にかかる虹が美しいことから「華虹門」と名付けられたといわれている。
門の上には民が休めるようにと樓閣があり、樓閣の左右には大砲の設置出来る施設があり城を保護していた。
東北角樓(訪花隨柳亭)
朝鮮時代の王室の中で最も美しい東屋の一つの東北角樓は、華城の東北の滝淵という池の上に建てられた東屋であり、「訪花隨柳亭」とも呼ばれている。もともとは、八達山華城將臺が敵に奪われた際に、第2の臨時先頭指揮所として使用するため設置されたものであったが、滝淵の美しさから戦闘の機能というより、宴会の空間として活用されていた
東暗門,長安門
●東暗門
暗門とは大門と大門の間に位置している小さな門のことである。一般的に暗門は奥深く入った所に造ることによって、敵に知られることなく人、家畜、車、食糧、武器などの軍需物資を城内に運搬する重要な役割があった。
東暗門は東将台の西方面に位置し、レンガで造られた内側のアーチからは、馬が1頭通ることが出来る広さとなっている。

●長安門
長安門は華城の北門であると同時に正門であり、現存する韓国城門の中でも最大の城門といわれている。長安とは首都を意味しており、“華城を大都市にしよう”という正祖大王の思いが込められている。
王室の威厳を象徴するため2層の樓閣となっていて、城門を保護するためにレンガで 甕城が造られている。さらに、敵が甕城門を焼こうとした時のために、甕城上部には5星池という5つの穴が開けてあり、水がかかるようなっている。
華西門から長安門の城郭沿いには長安公園があり、市民の憩いの場になっている。
東将台(錬武台)
東将台は蒼竜門と向かい合って華城の東北に位置しており、華城の東方面の軍事指揮所であると同時に軍事訓練所として使用されていた。
その隣には、韓国式弓道の練習場が設けられていて一般の人でも会員になれば弓の練習することできる。
新豊樓
華城行宮の正門である新豊樓は、もともと鎭南樓と呼ばれていたが、正祖の命令によって1795(正祖19)年新豊樓という名前に改名された。その昔、中国・漢の高祖の‘豊の地は新たなもう一つの故郷’というのが由来とされ、正祖にとって華城は故郷のような場所という思いが込められている。
また、新豊樓は正祖が民の救済行事を開く場所としても利用された。
左翊門,中陽門
●左翊門
1790年に完成した左翊門の左翊とは“そばで助ける”という意味があり、左翊門は中陽門の前にあって、行宮を守る中三門である。

●中陽門
華城行宮の最も重要な門として、厳しく統制された中陽門は、1790年(正祖14)に完成。正殿である奉壽堂のすぐ前で塞いで守るという役割を果たす内三門である。
南軍營
新豊樓の左右に位置する南軍營は1789年(正祖13)に建築され、その後1794年(正祖18)に増築された。 騎馬兵であった親軍衛が左、右列に各100人ずつ宿衛していた場所である。
奉壽堂(壮南軒),福内堂
●奉壽堂
華城行宮の正殿であると同時に華城守府の東軒の建物である奉壽堂は、1795年(正祖19)、正祖が母親であった惠慶宮の還暦の宴を盛大に行った場所。 奉壽堂は日本植民地時代に破壊されたが1997年に復元された。

●福内堂
福内堂は行宮の内堂であり、正祖が出御の際に宿泊した場所。福内堂という名は'福は内から生まれるものである'という意味である。


景龍館,未老閑亭
●景龍館
景龍館は長留堂の外門としても使用された付属建物で、景龍とは帝王を象徴する大きい竜を意味するものである。1794年(正祖18)に建てられた景龍館は2階建てで、2階部分はすべて板を敷いて板敷きが作られ、下の階は3間の板戸が作られて'至楽門'と名付けられた。


●未老閑亭
行宮の後苑に作られた東屋で、後苑の西の塀の内にある。未老閑亭という名前は'将来、年をとったらのんびりと休む東屋'という意味である。ここでは水原秋八景の一つである閑亭品菊(菊の花を並べて観賞する未老閑亭の秋の風景)の景観が演出されることもあった。
壯勇營守衛儀式
宮殿や城郭の門で行われていた軍隊儀式の一つで、城門を警備する部隊と城及び外郭を警備する部隊の交代が行われる。一定の信号や手順などの厳格な禮法により交代儀式が行われる。

日時:毎年3月~11月の毎週日曜日 14:00~15:00
場所:華城行宮正門(新豊樓前の広場)※雨天時は略式の「守衛式」が行われる
ロケ地情報
「宮廷女官チャングムの誓い」の撮影地
華城行宮では、イ・ヨンエ主演の人気ドラマ「宮中女官チャングムの誓い」が撮影されるなど映画やドラマの撮影地としても有名。実際に撮影が行われた場所には、パネルなどが設置され、詳しく説明されている。
水原華城と華城行宮
住所
水原華城
(日本語)京畿道 水原市 八達区 南昌道68-5
(韓国語)경기도 수원시 팔달구 남창동68-5

華城行宮
(日本語)京畿道 水原市 八達区 南昌洞6-2
(韓国語)경기도 수원시 팔달구 남창동6-2
電話番号
水原華城
031-251-4435

華城行宮
031-228-4677
運営時間
水原華城
3月~11月:09:00~18:00 12月~2月:09:00~17:00
年中無休

華城行宮
3月~11月:09:00~18:00 12月~2月:09:00~17:00
年中無休
日本語
一部スタッフ可能、日本語パンフレットあり
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