雲峴宮(ウニョングン)운현궁
錘路区
ソウル観光地
朝鮮末期の王室文化を散策
雲峴宮は朝鮮第26代王の高宗(コジョン)が王になる前までの間、暮らしていた潜邸であり、父親である興宣大院君(フンソンデウォングン)の李昰應(イ・ハウン)の邸宅。興宣大院君はここを舞台に約10年間にわたって執政し、幼い息子に代わって政治を行った場所だ。
また、高宗と明成皇后(ミョンソンファンフ)の結婚式や 明成皇后の王妃修行も、ここで行われた。本来、2万坪を超える邸宅だったが、高宗が王に即位後に拡張、新築を繰り返し‘宮’と呼ばれ始めた。この時から、 雲峴宮は4つの大門を持った雄壮な家に姿を変えたが、日帝植民地期と韓国戦争で被害を受け現在の規模となってしまった。
1864年に老安堂と老楽堂、1869年に二老堂と永老堂が建てられた。昌徳宮へ行き来しやすいようにと、高宗のための敬覲門と興宣大院君のための恭覲門があったが、今は残っていない。1977年11月22日、史跡第257号に指定された。
雲峴宮正門に入ると、右側に長く建った守直舎という瓦屋があり、これは宮の管理と警備、雑用の担当者たちが主に住んでいたところ。守直舎を過ぎると大門があり、 興宣大院君が国政を司ったという老安堂があり、老安堂はアンチェ(母屋)、二老堂は離れとして使われた。その規模や格式、平面の形からみると士大夫(サデブ)の家というよりは宮殿の内殿に近い。そして、老安堂を過ぎると還暦や宴などの各種家内行事が行われた老楽堂がある。
毎年4月と10月には高宗と明成皇后の結婚式を再現する行事も行われている。
守直舎
正門右側にある守直舎は、雲峴宮の警備と管理を担当していた人々が生活した所。高宗が王に即位し、雲峴宮の規模が大きくなり権力が強大になるにつれ、その分護衛が必要になり警備兵が派遣されたため、居住者たちが多くなったといわれる。
現在、守直舎の部屋内には当時の姿を再現する生活用品が置かれ、軍服を着た警備兵模型などが展示されている。
現在、守直舎の部屋内には当時の姿を再現する生活用品が置かれ、軍服を着た警備兵模型などが展示されている。
老安堂
老安堂は雲峴宮のサランチェ(主人の居間)として1864年、老楽堂とともに完成した。全体がT字型になっており、典型的な韓国の瓦葺家屋で、軒の端に木の棒を用いて庇をかけた手法は当時の特徴ともいえる。ここは大院君(タイインクン)が日常生活を送っていたところでもあり、国家の重要な政策の論議もされた。また男性の居住空間として、客人の接待などにも使われた。
老楽堂
雲峴宮で最も大きく中心となる建物。ここでは家族の集まりや祝いなど大きな行事が行われといわれており、 朝鮮王朝26代王である高宗の結婚式が行われた場所でもある。
また、老楽堂は初翼工様式の士大夫(サデブ)宅の建築の美しさがそのまま残っており、屋根の棟を支えている中桁には龍の模様が描かれ、建物の権威と格式の高さを示している。
また、老楽堂は初翼工様式の士大夫(サデブ)宅の建築の美しさがそのまま残っており、屋根の棟を支えている中桁には龍の模様が描かれ、建物の権威と格式の高さを示している。
二老堂
雲峴宮の一番左にある建物で、老楽堂と共に母屋として使われていた。高宗の年老いた両親の建物で正面8間、側面7面で構成されている。女性だけで暮らせるように別途スペースを設け、男子禁制が徹底された場所。男性が安易に入れないように「口」の形になっている。二老堂のトップは雲峴宮の生活に関する最高責任者であった。
雲峴宮(ウニョングン)운현궁
- 住所
- (日本語)ソウル市 鐘路区 雲泥洞114-10
(韓国語)서울시 종로구 운니동114-10
- 電話番号
- 02-766-9090
- 運営時間
- 4-10月 9:00~19:00
11-3月 9:00~18:00
月曜日休館
入場料
大人(25~64歳):700ウォン 青少年(13~24歳):300ウォン
※12歳以下、65歳以上 無料
- 日本語
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