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チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

朝鮮のダ・ヴィンチ チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

エリア  楊州 カテゴリ  観光地

丁若鏞は正祖の右腕であり、水原華城築造に尽力した挙重機や滑車ろくろを設計します。この時代に清を通じて西洋の築城法をとりいれたというから驚き。ローラーの原理を応用した挙重機を利用することによって労働力を画期的に減らせることが出来ました。科学技術を利用したこうした築城術は、まさに丁若鏞の天才性を物語っています。また、当時としては珍しかったレンガを導入した点も注目されています。

見所ポイント
朝鮮のダ・ヴィンチ
1762(英祖38)~1836(憲宗2)。丁若鏞は朝鮮後期の実学者で畿湖南人星湖学派の信西派人物です。
号は茶山・三眉・與猶堂・俟菴・紫霞道人・籜翁・苔叟・門巖逸人・鐵馬山樵など多数。
晋州牧使丁載遠の子です。
学問に感銘を受けて
1776年(正祖即位年)南人時派が登用されるなか、戸曹佐郎に任命された父に伴い上京、翌年李家煥及び李昇薰を通じて李瀷の遺稿を読みその学問に感銘を受けました。1783年会試に合格、経義進士となり御前で《中庸》を講義。1784年李蘗に西学に関する話を聞き冊子を読んだあとに関心を持ち始めたといいます。
西洋式築城法を基礎にした城説と起重架図説
1789年式年文科に甲科で及第し仮注書を経て検閲となりましたが、カトリック教徒として同じ南人である功西派の弾劾にあい海美に流配されました。10日で解かれて持平に登用、1792年修撰にある時、西洋式築城法を基礎にした城説と起重架図説を書き、呈して築造中である水原城修築に寄与しました。
度々の謀略に遭って...
1794年京畿道暗行御史となり連川県監徐龍輔を罷職させるなど大きな活躍をしました。翌年、兵曹参議在職中周文謨事件で兄若銓とともに連座し、金井道察訪に左遷されたのち、奎章閣副司直となり1797年承旨に昇りましたが謀略にあうと自明疏を呈して辞意を表明しました。
その後谷山府使で治績を残し、1799年再び兵曹参議となりましたがが再び謀略にあい辞職。彼を寵愛した正祖が亡くなると、1801年(純祖1)辛酉敎難で長鬐に流配、のちに黄嗣永帛書事件に連座して康津に移配されました。
農民の土地所有均一化、奴婢制の廃止を主張
そこで茶山麓に住む尹博の山荘を中心に流配から解かれるまでの18年間、学問に没頭し政治機構の全面的改革と地方行政の刷新、農民の土地所有均一化と労働力に依拠した収穫の公平な分配、奴婢制の廃止などを主張。このような学問体系は柳馨遠と李瀷に続く実学の重農主義的学風を継承したもので、さらに朴趾源を代表とする北学派の技術導入論を受け入れながら実学を集大成したものでありました。
幼い時から詩才に優れていた
幼い時から詩才に優れ、写実的でありながら愛国的な多くの作品を残し、韓国の歴史・地理などにも特別な関心を見せて主体的史観を提示し、合理主義的科学精神は西学を通じて西洋の科学知識を導入するに及びました。1910年(隆煕4)墓前に碑が建立されました。謚号は文度。
多くの称号と幅広い知識
丁若鏞は開国にともない富国強兵を主張した改革家であると同時に、哲学者・科学者であり、文人芸術家であり詩人、著述家、教育者である。水原華城を建築した当時、挙重機を考案し多大な貢献を果たしました。また、儒教の経典を新しく解釈し、朝鮮を支配していた当時の朱子学的な世界観の反省を試みました。

2012年、ユネスコ関連記念行事に選定
丁若鏞の生誕250周年は、ジャン=ジャック・ルソー生誕300周年、マルチン・ルター・キングの演説「I have a Dream」50周年などとともに、「ユネスコ関連記念行事」の一つに入っているユネスコが2004年から世界の歴史的事件が発生した日や歴史的人物の記念日を特別な日に指定する事業を開始して以来、韓国人として初めて、昨年、丁若鏞の生誕250周年が選定されました。

壮大な都城華城(ファソン)
世界遺産に登録された華城(ファソン)は、ソウルから南へ約35kmの水原(スウォン)に、李氏朝鮮第22代王の正祖(チョンジョ)が築いた城郭。朝鮮王朝後期の1794年、第22代王・正祖(チョンジョ)が政争により悲運の死を遂げた父を悼み、2年8カ月の歳月をかけて造り上げました。


華城築城の立役者
華城の城郭は、当時、垣根としての役割に過ぎなかった建築物をレベルアップした傑作。東西南北の四方向に城門を作り、その合間を城壁で囲うのが城郭の全てでした。こうした単純さのため城郭建築は見物に値しないという意見が多かったのですが、ここ水原華城は例外的に城壁として積み上げられた花崗岩とレンガの構成が一品であると評価されています。
多くの著書を後世に残して
著書には《與猶堂全書》があり、その中に《牧民心書》・《經世遺表》・《欽欽新書》・《麻科會通》・《毛詩講義》・《梅氏尚書平》・《尚書古訓》・《尚書知遠録》・《喪禮四箋》・《四禮家式》・《楽書孤存》・《周易心箋》・《易學諸言》・《春秋考徴》・《論語古今注》・《孟子要義》などが収められています。
尽力した華城は世界遺産に
華城とは儒教の経典「荘子」から引用した言葉です。荘子の中で、中国の古代史で太平の御代を享受していた伝説の王が出てくる華封三祝という話がありますが、その華封三祝の内容のように「世の中の他の何よりも徳のあふれる都市になれ」という意味が込められています。
今ではユネスコ世界遺産になった水原華城。丁若鏞なしでは作りえなかったのです。
朝鮮のダ・ヴィンチ チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地
住所
京畿道(キョンギド) 水原市(スウォンシ) 八達区(パルダルグ) 南昌洞(ナムチャンドン) 68-5
경기도 수원시 팔달구 남창동 68-5
電話番号
031-251-4435
運営時間
営業時間 3月~10月9:00~18:00、11月~2月9:00~17:00
年中無休

観覧料金

水原華城
大人1,000ウォン
中高生700ウォン
小学生500ウォン

華城行宮
大人1,500ウォン
中高生1,000ウォン
小学生700ウォン
日本語
一部
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