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華城築城の立役者~チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地~
WRITTEN BY : 笠原星子
体験レーポート一登録日時 : 2013-05-09
カテゴリー : 観光情報
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チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

丁若鏞(1762(英祖38)~1836(憲宗2))は朝鮮後期の実学者で畿湖南人星湖学派の信西派人物。華城の城郭は、当時、垣根としての役割に過ぎなかった建築物をレベルアップした傑作といえます。東西南北の四方向に城門を作り、その合間を城壁で囲うのが城郭の全てでした。こうした単純さのため城郭建築は見物に値しないという意見が多かったのですが、ここ水原華城は例外的に城壁として積み上げられた花崗岩とレンガの構成が一品であると評価されています。

朝鮮のダ・ヴィンチ

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

丁若鏞は開国にともない富国強兵を主張した改革家であると同時に、哲学者・科学者であり、文人芸術家であり詩人、著述家、教育者でもありました。まさに多彩な才能の持ち主で朝鮮のダ・ヴィンチという称号にぴったりです。水原華城を建築した当時、挙重機を考案し多大な貢献を果たしました。また、儒教の経典を新しく解釈し、朝鮮を支配していた当時の朱子学的な世界観の反省を試みるという、当時の時代背景からは前代未聞の言動を発信していました。

挙重機や滑車ろくろを設計

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョンは挙重機や滑車ろくろを設計します。この時代に清を通じて西洋の築城法をとりいれたというから驚きです。ローラーの原理を応用した挙重機を利用することによって労働力を画期的に減らせることが出来ました。科学技術を利用したこうした築城術は、まさに丁若鏞の天才性を物語っています。また、当時としては珍しかったレンガを導入した点も注目されています。

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

チョン・ヤギョン(丁若鏞)遺跡地

1789年式年文科に甲科で及第し仮注書を経て検閲となりましたが、カトリック教徒として同じ南人である功西派の弾劾にあい海美に流配されます。これは10日で解かれて持平に登用、1792年修撰にある時、西洋式築城法を基礎にした城説と起重架図説を書き、呈して築造中である水原城修築に寄与しました。華城の完成に尽力した氏の遺跡地です。

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